半券はロルバーンに貼っておく

俳優オタクで舞台オタク

2022年 Next to Normal感想ノート(2, 2幕の各曲感想)

こちらは 2022年 Next to Normal感想ノート(1, 1幕の各曲感想) の続きです。

mariasashowmustgoon.hatenablog.com

こっちもあっちも長いです!

2022年Next to Normalのネタバレを思いっきりしていますのでご注意ください。

まだ見ぬ再演を見る前の方がもしこの記事にたどり着いていたら、特にブラウザバック推奨です。

 

 

2幕

M18, Wish I Were Here

 うわあ!!!推しがスクラブ着てる!!!(初日の脳直感想)
 SNSで上げないつもりなのか、撮ってないのか不明ですが、スクラブを着た甲斐翔真の写真が見たいです。どうかお願いします。
 あのシーンの医者は「ゲイブ」なのかどうなのか問題もあると思いますが、Nチームの場合はダイアナが見ている幻想の中のゲイブなのかなと思いました。甲斐ゲイブはストレッチャーを捌けさせるギリギリまでダイアナを見つめているので・・・(海宝ゲイブはそのままストレッチャーを捌けさせていました)
 幻想の中でだけしか意気投合できないダイアナとナタリー、切ないですね。「電気につないで押すのスイッチ、いい気持ち」の振付のシンクロ率がよくてとても好きでした。

 

M19, Song of Forgetting

 ダイアナはどれくらい忘れてしまっていたんでしょうね…最初に「ダン?」と聞くときから、実はダンのことさえ忘れていて、ドクターから「ダンが迎えに来ますよ」と言っていたので名前がわかった、とか、そんなことであれば、それこそ「なんて治療・・・!」と言いたくなります。家に帰る、と言われた時に「ええ、でも」と答えたのも、その家にダンと自分が一緒に住んでいることさえ忘れていたのかなと思いました。
 屋比久ナタリーの「へぇ、いいかんじだね」と昆ナタリーの「へぇ・・・いい、かんじだね?」のニュアンスが結構違っていてびっくりしました。屋比久ナタリーは興味はそんなにない、くらいの雰囲気で、昆ナタリーは、本当に落ち着いているダイアナをみて、「治療が効いたんだね」という希望があるような印象でした。その分「なんて治療、医学の奇跡ね」の悲痛さが伝わってきます。

 

M20, Hey #1

 最初はマリファナ吸ったりナタリーが忌避するような行動をしていたヘンリーが、「やめたら?」というくらいにナタリーが壊れてしまっているというのがわかって(2幕最初にレッドブルで数種類の薬を流し込んでいますが、それがダイアナのECTの治療中ずっと続いていたんでしょうね・・・)、とても辛いシーンです。そして、大久保ヘンリーの「Hey」の言い方、バリエーション豊か過ぎて、大久保祥太郎くんさすがっす!!!という気持ち。繊細な演技が本当に上手いんですよね、いい役者さんです・・・
 チケットの差し出し方もAチームとNチームでまた違うんですよね、橋本ヘンリーは1枚とりだしてナタリーに渡そうとする、大久保ヘンリーは2枚取り出して一緒に行こう?と聞く。チケットの柄がN2Nのビジュアルの柄なのは芸が細かいですね。
 そういえば英語原文だと、ダンスパーティーの日は3月1日とのことです。2人が出会ったのは9月だと思われるので、半年経つのですね・・・半年でこの理解力、ヘンリーすごいな。さすが4つの授業でナタリーの後ろに座っていただけあります。

 

M21, Seconds and Years

 「記憶をなくすのはNormal」「知ったことかなにがNormal、長いことNormalじゃない」何度も見ているとこのNormalという言葉の軽薄さというか、なにがNormalか、みたいなことが頭をぐるぐるしてしまって、正直ドクターへの心象が悪くなるシーンでした。「まだ頭にありますかコンクリート」というセリフ、ずっと「コンフリクト*1(葛藤)」だと思っていました。Aチームみてコンクリートだと気づきました(大楽じゃねえか・・・)ECT前のダイアナは、ずっと頭にコンクリートが詰まっているような状況だったんですね。そりゃやってられないですよね・・・(低気圧時の頭痛持ちより)

 

M22, Better Than Before

 優しい曲調に対して、「新しい記憶に書き換える」というダンの言動に不快感を覚える曲でした。実はダンは、Song of Forgettingで既に記憶の書き換えを試しているんですよね、「この子(ナタリー)生まれて抱きしめた日」はないはずなんです、ダイアナはナタリーが生まれたとき抱きしめることができなかったとMake Up Your Mindで言っているので・・・
 幸せな過去に塗り替えるために、幸せな思い出の写真だけを見せるダンに対して、ナタリーはダイアナが起こした事件の新聞記事を見せ、それでダイアナは過去を思い出していく。あまりに皮肉ですよね。それに対して「思い出したんだねダイアナ!!」と嬉々とした声で歌う渡辺ダン。私個人的に、1幕はダイアナに振り回されるダンに肩入れしがちだったのですが、この曲から一気にダンに対して不快感・不信感を覚えるようになりました。ナタリーが取り出したオルゴールを隠すときの剣幕もそれまでの優しい渡辺ダンにしては酷く慌てて怖い顔をしていましたし・・・

 

M23, Aftershocks

 真っ黒のTシャツを着たゲイブの登場。2幕で「ゲイブ」として出てくるのはここが最初なんですよね。消された存在としてぼんやりとステージ上に浮かぶ姿が切ない。この時ダイアナは写真や思い出の品を見ていろんなことを思い出そうとしますが、ダンが意図的にゲイブに関するものを隠しているので思い出せるわけがないのです。それを上から見つめるゲイブ。「完全に僕は消されたけど、魂に一つ焼印残した」この歌詞がとても染みます。ゲイブの存在は、ECTによって消されてしまったダイアナの魂に付けられた焼印なのですよね・・・「悪魔追い出して時間稼ぎ」とゲイブ自身が歌うのも悲しいです。この後階段に座ってじっとダイアナを見つめているゲイブをHey #2の間もずっと見てしまっていました。

 

M24, Hey #2

 もうここの大久保ヘンリーの両手で手を振りながら「OK、Hey!」が最高にかわいいんですよね!!!実際ここはじっとゲイブのことばかり見たい気持ちがあるのですが(ダイアナの挙動をじっと見て、期待して、落胆するゲイブが最高に好きなので・・・)、この両手で手を振る大久保ヘンリーは絶対見る!!!と思って毎回オペラグラスをずらしていました。
 ナタリーの「あなた似てる、面倒くさいひとね」の「似てる」人について、誰なのか分からず*2、ずっと考えていたのですが、英語原文だと「You remind me of me(あなたを見てると私を思い出す)」となっていました。自分と似たもの同士だから、面倒臭い、ということを実感してしまうのでしょうか・・・それを踏まえると「僕をあきらめないで」というヘンリーの言葉、それは「僕を、そして自分自身を」ということなのかなと思います。
 なんとなく屋比久ナタリーより昆ナタリーのほうが諦めを感じるんですよね。その分この「僕をあきらめないで」が染みました。

 

M25, You Don't Know (Reprise)

 初日に見たダイアナの「むすこ?」の言い方に既視感を覚えていたのですが、スリル・ミーのラストシーンの「じゆう」*3に近いものを感じたのだと気づきました。安蘭ダイアナは割と「息子?」と発音していたのですが、望海ダイアナは発音が危ういような印象をうけました。むすこ、という単語の意味すら忘れてしまっているような、そんなイメージでした。
 そっと上手側で、ダンが隠していたはずのゲイブの思い出の品が入った段ボールをとりだしてくるゲイブ。1幕のI Dreamed A Danceの前でもダイアナはその中のものを取り出していたのですが、オルゴールを開けるまでは一体何なのか全くわかっていない様子。オルゴールとゲイブの結びつきの強さを感じます。よく泣く子だった、ということなので(病気の影響もあると思いますが)、夜泣きするたびに寝かしつけていた思い出が強いのかなと思いました。
 ちなみに段ボールの中に入っているおもちゃは、車のぬいぐるみ、飛行機のぬいぐるみ、輪っか型のガラガラは認識できました。他にもあったのかな・・・

 

M26, How Could I Ever Forget?

 ダイアナが開けたオルゴールに合わせてハミングしながら、ゆっくりとダイアナの肩を抱こうとするゲイブ。甲斐ゲイブはここで抱きしめようとする瞬間とても幸せそうな顔をして、ダンが来た瞬間少しにらむように後ろに下がるのが印象的でした。
 ダイアナがゲイブとの思い出を思い出した瞬間の甲斐ゲイブの喜びの表情、そしてゲイブが死んでしまったことをダイアナ思い出したときに、消えゆく彼の瞳の光。アミューズの俳優は本当に瞳のハイライトを消すのがうまいですね・・・?上手に移動しながら唇をしっかりと結びつつ涙を浮かべ、段ボールをのぞき込んでタオルを触る。そのタオルをダンが持ち上げた瞬間ゲイブも顔をあげるのですが、このタイミングでゲイブの涙がぽろっと落ちる回があって、私はその瞬間がたまらなく好きでした。ダンが持ち上げるタオルを触るゲイブ、この瞬間この二人の世界がつながったような印象も受けました。ダンがゲイブを忘れていないこと、それを感じ取ったゲイブはダイアナだけではなくダンにも影響を及ぼし始め、存在感を強め始めていたのだと思います。
 ちなみにですが、英語原文だとゲイブが死んだのは「Just 18 months old」とされているので、日本版の「8か月だった」とずれがあるんですよね。もしゲイブが18か月(1歳半)で亡くなっている場合、ダイアナはナタリーの妊娠中にゲイブを亡くしている可能性があるので、紐解きたい謎の一つです・・・

 

M27, It's Gonna Be Good (reprise)

 私、しばらく気づいていなかったのですが、ダイアナは1幕でも、そしてこの後もゲイブの名前を呼ぶことはないんですよね、ナタリーの名前は呼ぶけれど・・・現実にいないことを理解しながらも、心の拠り所としてすがっていた、自分の中にだけいる息子、もはやそれまでダイアナは彼の名前を呼ぶ必要さえなかったのでしょう。しかしここで彼女の中にいるゲイブも姿を消している。名前を知る必要があった。だから無理やり息子のことを忘れさせようとするダンに対して「名前」を教えるように迫るんですよね。
 そして壊されるオルゴール・・・日々オルゴールの重症度があがっていくので毎回直しているのか・・・?と思っていたら、兵庫公演のカーテンコールで何個もあることが明らかになったようで…ずっと小道具さんの負担を心配していたのでよかったです(?)

 

M28, Why Stay?/A Promise

 ダイアナとダン、ナタリーとヘンリーの関係性がオーバーラップする曲、とても好きです。A Promiseのダンが昔誓った約束の話をしている中、ヘンリーが現在進行形でナタリーに誓うという構成が不安でもあり希望でもあるような、そんな印象です。ダンもヘンリーも、相手のことを思う心が、愛があるからこその行動なのですが、ダンは特に空回りしてしまっているようにも見えます。ダイアナは記憶を消されてしまってダンに対する不信感があるので、それは正直当たり前なんですよね。
 一方ナタリーは不安定な状態だけれど、ヘンリーの存在があることで少し楽になれるように見えます。昔はダイアナもそうだったのでしょうか・・・正直妊娠したことがきっかけとなった結婚だったこと、「子供が生まれたとき全てに納得できた」というダイアナの発言からも、ダンを心の頼りにできたことはダイアナにはなかったのかもしれない、とも思ってしまいます。そう思うと、彼らの関係性はかぶるようでかぶらないんですよね・・・

 

M29, I'm Alive (reprise)

 少し顎を上げたような角度でダイアナを見つめて暗がりから現れる甲斐ゲイブ、堪らなく怖い。目があった瞬間に笑いながら取り乱すダイアナに近づく、ダイアナはこの時まだ彼の名前を思い出せないんでしょうね・・・「ナタリー!」と娘にすがる。ここでダイアナがナタリーを呼んだことは、ナタリーにとってはある種救いだったのではないかと思います。少なくともナタリーはダイアナの娘としてもはやInvisibleではなくなっているので・・・
 逆にダンにとってはあまりに酷な状況です。ダイアナがゲイブのことを思い出してしまい、さらに畳み掛けるようにダイアナとナタリーはダンの元を去っていく。ここの「ダイアナ!」「ナタリー!」の渡辺ダンの叫びが、回を追うごとに悲痛になっていってとても辛かったです・・・
 とはいえ当方は甲斐翔真くんのオタクなので、マウントを取るような余裕の表情からダンに詰め寄る迫力、2階からまるでこの家族の混乱を操るように動く甲斐ゲイブをみて毎回テンション爆上がりでした。ラストの咆哮とも思えるような「I’m Alive!」に打ち震えます。(そしてめっちゃいい蹴りでした、さすがっす)

 

M30, The Break

 ビッカビカに光る背景と、I’m Alive rep. から続くロック調の曲調。頭の中がごちゃごちゃになってしまうダイアナの心理状態とリンクしているように感じます。一方で引き続き2階上手側でダイアナを静かに見つめるゲイブが怖い。

 

M31, Make Up Your Mind / Catch Me I'm Falling (Reprise)

 ここはもうドクターへの不信感が強くなってしまう・・・いや確かに、後々ナタリーが言うように「勝手に治療をやめるなんてできない」はずです。しかしもうやらない、と決めるのはダイアナなんですよね。この時のドクターへの不信感の強まりは、曲の構成の影響もあると思います。ドクターに全く同じメロディラインを歌わせ続けることで、定型文のように受け取れる。さらに「ガイドラインに過ぎない」と言う言葉が浮き彫りになる気がします。ガイドライン、ここではある意味「Normal」の象徴なのかなと思います。全ての症例がその通りになるなんて、そんなはずはないわけで、「医学は完璧じゃない」。だからこそ続ける、と言うドクターと、他に方法があるはずだと言うダイアナ。その完璧ではない医学によって自分が壊れていく実感をしているダイアナは、他に活路を見出したいと思ったのでしょう。
 落ちていく、と歌うダイアナに対して「自由になる」とコーラスをいれるゲイブ。この自由とはゲイブにとっては何のための自由だったのでしょうか・・・

 

M32, Maybe(Next to Normal)

 3回目の観劇の時、このシーンでビッショビショに泣いてしまってマスクをダメにしました。3回目にしてやっと受け止めきれたシーンでした。ダイアナがやっと自分の人生がどんなものか、そしてナタリーに対する思いがどんなものか、しっかりと向き合えるようになります。「終わりなのかも」「疲れたのかも」と言った後ろ向きな歌詞の一方、ダイアナの表情はそれまでよりずっと晴れやかに見えます。「あなたもそうでしょう、似てるのよ」と言われるナタリー、きっとずっと、自分も母と似ている、だから母のようになってしまうかもしれない、そんな恐怖を覚え続けているのだと思います。でもきっとナタリーは、16年間ダイアナからのこの言葉達を待っていたのだと思います。消えて欲しいと思っていた、でもそうなることに怯えていた、とナタリーもダイアナに対して気持ちを伝えて昇華させていく。実際しっかり昇華できたのかはわかりません。でもダイアナとナタリーはしっかり向き合えたことで、この関係性は良い方向に進んだのだと思います。
 「普通の隣でいいのかも、そうよNext to Normal、それで十分」ここでタイトル回収でございます!私、タイトル回収がされる作品が結構好きなんですよね。しかし、タイトルでこんなに泣かされることになるとも思っていなかったので、毎回ここでいかに涙を堪えるかが勝負でした。ここで泣くと、この後のPerfect for You rep.からI Am the One rep.までずっと泣き続けることになるので・・・

 

M33, Hey 3 / Perfect for You (Reprise)

 青のタキシードと青のドレスのヘンリーとナタリー、「スターみたい」とヘンリーがナタリーに伝えますが、このシーン自体、夢みたいにロマンチックです。でもナタリーはダイアナのことでいっぱいいっぱい、やはり「自分も母みたいになってしまうかもしれない」という恐怖がどうしても付き纏う。それに対してヘンリーは「なればいいクレイジー、僕ら二人とも」「クレイジーはPerfect、失敗もPerfect」だと言います。このPerfectという言葉、ナタリーの意識的にとても大事なのだと思います。調和が取れている「完璧」なクラシックが好き、というナタリーに対して、調和がなくても完璧になれる、とヘンリーはナタリーに伝え続けている。二人が互いにとってのPerfectになれる、というのは、この作品中、本当に救いでした。
 大久保ヘンリーは取り乱す屋比久ナタリーの頬に手をやり落ち着かせるのに対して、橋本ヘンリーはバックハグで落ち着かせているんですよね。性格の違いが出ている・・・!!なんとなく、大久保ヘンリーは少し浮いているけど優しくて、変わり者同士のカップル、橋本ヘンリーはちょっとプレイボーイ寄りだけど実はずっとナタリーに恋していた、というイメージを勝手に持っています。

 

M34, So Anyway

 無言の渡辺ダンの、目の表情だけの演技が最高すぎる・・・!!!電気の消えたダイニングルームに一人座り動かず、ダイアナが出ていくのを何も言えずに茫然と見送るしか出来ないダン、一方晴れやかに歌い上げながら下手から上手に歩くダイアナ。この対比が切なくも美しく感じます。それまで特徴的な色の服を着ていなかったダンが濃い赤のシャツを着ているのも象徴的です。途中でゲイブが家の玄関とつながっているであろう部分に現れると、そのゲイブも初めて濃い赤のTシャツを着ている。初日、ダンとゲイブが全く同じ色を着ていることに身震いしたのが忘れられません・・・
 ダイアナが出ていくときの両ゲイブの違いも結構ありました。海宝ゲイブがダイアナにすがるように涙を浮かべて、彼女が出ていくのを顔で追っているのに対し、甲斐ゲイブは涙を堪えるようにじっとダイアナを見ていて、最後に彼女と目があい、その後ダイアナが目を逸らして出ていくと、ダイアナを追うことはなく視線を落とします。割と甲斐ゲイブはすでに(I’m Alive rep.くらいかなと思います)自分を見てもらう対象をダンに移行していたような印象がありました。

 

M35, I Am the One (reprise)

 渡辺ダンと甲斐ゲイブのシンクロ率凄まじい。なんとなくこの2人似てるんですよね、顔の作りとかは全然違うけど、笑った時に垂れる瞳とか、優しそうな声とか、まとった雰囲気とか。甲斐ゲイブ、望海ダイアナと渡辺ダンの息子であることがしっくりきすぎるので、それもまたこのシーンの良さにつながっていると思います。I’ve Beenでダンが「一人にするなよ」と言っている言葉へのアンサーにもなっているであろう、ゲイブの「一人にしない」という言葉、ダイアナについて行かずに、ダンのもとに残ったゲイブの父への思いはこの一言に尽きるかと思います。ダンはゲイブの名前を、愛称のゲイブだけでなく、「ガブリエル」としっかりと呼びます。初日が終わった後にフォロワーにガブリエルが死者を蘇らせる天使だということを聞いて天を仰ぎました・・・
 ダンが名前を呼んだ瞬間にふわりと「やあ、パパ」と安堵と幸福をないまぜにしたようにも見える笑顔を浮かべる甲斐ゲイブ、それを見て笑う渡辺ダン。ナタリーが帰ってきた瞬間にゲイブのことが見えなくなったようにダン瞳の光が落ちるのも素晴らしかったです。ここの大ちゃん本当に良かった。そしてゆっくりと気配を消していなくなるゲイブも美しくて、毎回最高すぎたシーンでした。

 

M36, Light

 「光を灯そう、光を」とナタリーが家のあかりを付け、今のところはダンとナタリーの二人で生きていこうと決意する。先ほどのI Am the One rep.でゲイブが言っていた「一人にしない」をナタリーがゲイブに代わって果たしてくれるのではないかと思いました。ダンは正しくなることを待ちすぎたのだと歌い、「正しさ」を目指して生きることがすべてではないと理解し始める。ダイアナも、生きていればなにか「幸せ」より確かなものを見つけられるはず、と歌う。この地道だけど一歩でも進めている実感のある歌詞が胸に刺さります。
 そしてナタリーの「安心して、あなたは私のお気に入りの問題なの」のセリフが最高すぎるんですよね・・・!ヘンリー&ナタリーカップルに幸あれ、と願うばかりです。そのあとの「Day after day♪」の音圧で毎回やられてました。屋比久ちゃんすっげぇ!
 あと屋比久ナタリーのケーキのろうそくがなかなか消えない事件が大好きです。(詳しくはこちらのツイートにて)大楽は自分で全部消せてましたね!よかった・・・
 ラストで全員が声を合わせて「光が」と歌うシーンで、後ろの照明が輝いているのが本当に素敵な演出でした。(甲斐ゲイブの話をすると、東京最初のほうでは高音のロングトーンで膝を曲げて力を入れるような体勢をとっていたのに徐々にそれがなくなっていって、短期間での著しい成長を実感しました。甲斐翔真、恐ろしい子・・・!)
 私はこの作品は決してただのハッピーエンドではないのだと思います。というか、エンドではないんですよね、彼らにとって、これからの、それぞれの一歩を踏み出したのだから。
 1幕終わりの小さな光は、この2幕のラストでしっかりと照らされたものとなったように感じます。その先がどんな行く先でも「どんな暗闇もいつか消える」という言葉に希望を託したいと思いました。


以上、2022年 Next to Normalの感想でございました。

 

終わりに

公演を通して、かなり重いストーリーでも毎回しっかりと考えながら見れていたのは、楽曲の力とキャストさんたちのレベルの高さでスムーズにストーリーに没入できたおかげだと思います。舞台セットが家の形になっていること(フレームとしてバラバラにみえるのがラストでピタッと形になる演出も大好きでした)、光の使い方、様々な要素がこの重たさのあるストーリーをしっかり支えていたなと感じました。

また、この作品は見る人の周辺環境、家庭状況、そして心身の状態によっても感想がガラっと変わりそうだなと思います。今までも様々な方の感想を拝見していましたが、そんな見方もあったのか!と驚くこともありましたし、私の今の状況ではそこまで考えられなかったな、と思うようなものも見かけました。言葉として正しいかは別として、そういった点でも、とても面白い舞台でした。

さて、またキャスト別感想は後日書きたいと思っています。その時はもうちょっと短くしたいです。
ここまで長文の拙い感想にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!

 

参考文献とおまけ

英語歌詞への言及の際、参考にしたサイトはこちらです。

www.allmusicals.com

 

全然まとまってない私の甲斐ゲイブ関連叫び声まとめはこちら

min.togetter.com

 

*1:超余談ですが、甲斐翔真くんがアミューズ若手俳優によるファン感謝イベントのハンサムライブでバンド(Vo.甲斐翔真)を組んだ際のバンド名が「Conflict」でした

*2:ダイアナがヘンリーに「あなた誰かに似ている気がする、いくつ?」と聞くのはゲイブのことだと思うのですが、ナタリーはゲイブのことを知らない

*3:私が見たのは松岡私・山崎彼の組み合わせと成河私・福士彼の組み合わせでしたが、どちらの「私」も、「じゆう」の発音が「自由」とは少し違うものになっていたように感じました。