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俳優オタクで舞台オタク

帝劇主演俳優を推すことになった話

先にお伝えしておくと、現在私が推している「帝劇主演俳優」とは、古川雄大のことだ。

散々遠回りして彼に行きつくことが出来たことを、ある種奇跡で、一方必然的だったようにも思っている。

ここでは、若手俳優のファンからはじまり、2.5次元舞台俳優のオタクを経てから、帝劇主演俳優を推すことになった20代半ばのOLの半生を書いていく。自己満足でしかないが、自分が人生の半分以上を俳優のファンとして生きてきたこと、その集大成ととして「帝国劇場の主演俳優のオタク」となったことを記したいと思っている。



私が若手俳優というものに出会いハマってしまったのは10数年前、周りの女子は嵐だNEWSだと、ジャニーズのファンだらけだった時代だ。当時私は周りの女の子たちがジャニーズに入れ上げる姿を見ても、本を読んでいる方が楽しいと思っていたような部類だった。普通に友達と映画を見てプリクラを撮って、本を買って。そういうことにお小遣いを使っているような子供だった。


忘れもしない小学6年生の冬、皆勤賞続きの超健康児だった私はインフルエンザにかかり、学校を休まざるを得なくなった。私は妹と2人部屋だったが、インフルエンザを蔓延させるわけにはいかないと、父が一人で使っていた寝室をあてがわれた。そこには1台のテレビがあった。普段は父がテレビゲームをするために使っていたものだ。

しばらくすると熱も下がり、普通の生活ができるようになったが、昼間寝ているせいで夜目が覚めてしまう。その時に目に付いたのは、部屋のテレビだった。私の家では子供達は9時までに寝るという決まりがあって、それ以降のテレビは録画しなければならなかった。


リアルタイムでドラマが観れる…

私は恐る恐るテレビをつけた、音量はできるだけ小さく、私にだけ聞こえるような音にした。

親に決められたルールを破っているという罪悪感と、周りの女の子たちが騒いでいるカッコいい男の子たちが観れるかもしれないという高揚感で、私はドキドキしていた。


そして私は小池徹平と出会った。


私が観たのはごくせん2、しかも小池徹平演じるタケが若槻千夏演じる女の子のことを好きになり、強い男になろうともがく、いわゆる「タケ回」であった。

かわいらしい容姿に砕けた言葉遣い、普段はチャラチャラしているタケが女の子のために強くなろうとする姿にどうしようもなく心が惹かれてしまった。

ごくせんの話は周りからよく聞いていた。しかし言及されるのは亀梨や赤西についてで、それ以外の俳優のことは全く知らなかった。

私は小池徹平に紛れもなく恋をした。


そこからの行動は早かった。彼の出演作品を漁って、WaTと出会って、主演映画を追って、ライブに通って、中学校の思い出は小池徹平一色だった。

握手会に行って「大好きです」と伝えるだけで、死んでもいいと思えた。俳優のファンになるということがこんなに楽しいことだなんて知らなかった。私は少ないお小遣いの使い道を、本から彼の出ている雑誌やCD、ライブに移行させていった。


中学校の終わり、小池徹平ばかり追っていた私にも転機が訪れた。

弟が見ていた仮面ライダーを一緒に見始めてしまったことが原因だ。それが仮面ライダー電王佐藤健との出会いだった。

高校受験の前日、仮面ライダー電王の最終回を迎え、良ちゃんとはもう会えないのだと嘆き悲しんだ。思い切り泣いた。仮面ライダーで泣くなんて思ってもみなかった。(その後のシリーズの最終回は毎回のように泣いているのだが)


高校に入ると佐藤健を自然と追うようになった。それは小池徹平のアーティストとしての活動が少なくなり、ドラマや映画も少なくなっていったことも原因かもしれない。当時の佐藤健若手俳優の王道を突っ走っていたように思う。人気漫画原作のドラマや映画に出続け、その人気を確立していった。私は彼の活動を追うために、アミューズのイベントに行く決意をした。

ここが大きな転機だった。


アミューズの俳優は映像作品を中心に活躍している人だけでなく、舞台を中心にしている俳優も多くいる。私が出会ってしまったのは桜田通だった。仮面ライダー電王で、佐藤健演じる良太郎の孫、幸太郎を演じていたことで、当時の私にとって、まぁ知っては いるよね、という人物だった。

The GAMEというオムニバス映画の上映と俳優によるライブイベントが融合されたアミューズによる試みは、私のような「茶の間」を「現場」に引っ張り出すための良い手段だったように思える。もちろん佐藤健はかっこよかったが、なによりライブシーンで輝いていたのは桜田通だった。高身長を生かしたダンスのキレやその場を盛り上げる天性の何かを持っているように感じた。佐藤健よりも私と年の近い桜田通。私はアミューズに好きな俳優を2人作ってしまった。いわゆる沼に落ちたのだ。


とはいえお金のない高校生の私は、年に1回のThe GAMEと、年末のハンサムライブ1公演が限度であった。なんならハンサムは高校時代行くことができなかった。当たらなかったのだ。当時はSNSなんかもmixiくらいしか周りにやっている人がいなくて、ツイッターのアカウントを作ったはいいものの、どう活用したらいいのかわからなかったし、ネットで友達を作るということの意味が分からなかった。もっぱら活動は一人か、妹と一緒だった。


大学生になり、バイトをし始めると、金銭的な余裕ができ、現場に行くことも難しくなくなってくる。ハンサムライブや佐藤健の舞台、他のアミューズ若手俳優が出る舞台にも行くようになった。しかしそれこそ桜田通を見ることができるのはハンサムだけだった。彼が海外留学をすると聞いて、当時の私はとことん落ち込んだのを覚えている。

彼の過去の作品を追ううちに、「FROGS」という舞台があったことを知る。本当にまだ若かった桜田通が主演を果たしたこの舞台は、とにかくダンスの表現が素晴らしく、桜田通のダンスを好きになった私にとってとても魅力的な作品だった。やっぱり生で彼を見たいのだと思った。

FROGSの再演はそれからしばらくした頃に発表された。小関裕太主演。天てれをリアルタイムで観ていた私は(ドラマが見れない代わりに教育テレビは網羅していた)、あの裕太がもうそんな年なのか、一回行ってみよう、みたいな軽い気持ちで、余っていた後方のチケットを取った。AiiAに来たのはこれが最初だった。

AiiAのなんともいえない掘っ建て小屋感に「これが舞台か?」という不安を覚えたし、なによりトイレの衝撃は忘れられない。公衆便所かと思った。椅子はスタジアムみたいに硬くて、もうしばらくきたくないなんて思っていた。後々、ものすごくお世話になることも知らず。


小関裕太はすごい俳優だった。あの細長い体から、華奢な姿から、想像のできない大きな歌声、迫力のあるダンス。「ばいばい、カエルども!!」このセリフを聞いた後なぜか涙が出た。あんなに小さかった裕太が、天てれでも歌を任せられるようなことはよくあったけれど、こんなに歌える子だったのか。たちまち小関裕太に落ちてしまった。これがアミューズ3人目の推しとなる俳優にして、現在の最推しだ。

小関裕太にハマったことで、その後の私の俳優オタクとしての指針は大きく揺れ動いた。それまで「茶の間」の映像作品中心に生きていた生活から、一気に舞台に通うようになった。小関裕太が出ているからではなく、舞台という現場が好きになった。大学でもミュージカルのゼミを取っていたこともあり、私の生活は舞台漬けになっていった。


そして今まで敬遠していた大きなコンテンツに触れることになる。

ミュージカル テニスの王子様

触れたらヤバイ、絶対ハマる。そう思っていた。桜田通にハマった時から、そう感じ取っていた私は、出来るだけその要素に触れないように生きてきた。しかし小関裕太テニミュ出身だった。これはもう何かの縁だ、テニミュは見ておかなければならない、と、DVDを買いあさった。すごい世界だった。気付くと2ndシーズンの俳優のことを全て覚えていた。2ndシーズン四天宝寺公演が終わった頃のことだった。


四天宝寺公演には、FROGSに出ていた松岡広大も出ていたし、立海公演には一度は行っておくべきだと思い、凱旋公演の平日、第3バルコニーのチケットを妹にとってもらった。初めて生で見た小越勇輝はとても小さかった。しかし輝いていた。これがテニミュの輝きなのだと知った。眩しすぎる世界だった。なんでリアルタイムで小関裕太桜田通を見ることができなかったのだと悔やんだ。

推しがこんなキラキラの舞台の中に存在していること自体が羨ましいと思った。ドリライに行くことは叶わなかったが、当時小関と同じドラマに出ていた白洲迅が、このドリライに出たことによって「小関回」に出演していなかったことに、複雑な気持ちになった。その後、白洲迅にもハマることになる。これは正直、鳳長太郎というキャラクターのせいでもある。テニスの王子様という作品の中で、群を抜いて好きなキャラクターが鳳長太郎だった。「鳳長太郎役の白洲迅」のことを好きになったつもりだったのだが、彼の人柄や他の作品でのキャラクターに惹かれて、ただの白洲迅のオタクになっていた。


ここで触れていなかったが、大学生のうちに私は佐藤健の「担降り」をした。タイミングはよく覚えていない。しかし舞台中心に生きる舞台オタクとなってしまった私が、映像に生きる彼を追うことは難しいと思ってしまったのだ。あとは古参としての嫉妬もあった。るろうに剣心天皇の料理番などで着々と俳優としての地位を確立していく彼を見て、あの時の健くんはいないのだなと思ってしまった。「仮面ライダー電王がデビュー作」と言い張る事務所の対応も悲しかった。私は彼の本当のレギュラーデビュー作、「プリンセス・プリンセスD」が大好きだった。


小池徹平については、佐藤健にハマったときから徐々に離れてしまってはいたが、気付くと彼は舞台の俳優になっていて、これは私にとって好都合だった。大学時代に勉強していたスティーブンソンドヘイムの作品に出た時なんか、これで大学時代の勉学が報われたとも思った。

私にとって小池徹平は推しではなく、何か「好き」の象徴になっていた。実のところ私はWaTが解散してから小池徹平のファンクラブには入っていない。


そんなわけで、私は「小関裕太」と「桜田通」と「白洲迅」のオタクとして社会人になった。気付くと全員テニミュキャストだった。そしてちょうど私が社会人になるタイミングで、テニミュ3rdシーズンが始まった。

初めて行った改装前の日本青年館。まだまだ舞台に立ち始めたばかりの若手俳優の姿。洗練はされていないけど一生懸命な姿。これがテニミュの輝きだと再確認した。私はこれを追って生きていきたいと思った。すぐにTSC(テニミュのファンクラブ)に入った。


2.5次元の舞台が乱立していた。あの松岡広大主演のNARUTOを始め、ハイキューなどのスポ根系もあれば、乙女ゲームの原作モノなど、やればいいってもんじゃねーぞ!と言いたくなった。でもやれば売れるのだからしょうがない。

テニミュ出身の俳優は2.5次元にいきがちだった。自動的に見ることになった。面白いものは本当に面白いし、逆に、もうこんなの見たくないな、と思ってしまった作品もあった。

正直に言えば、2.5次元の舞台はキャストありきで見ている。これは構造的にしょうがないし、若手俳優が好き、という根底がある私にとっては必然だった。


俳優オタクである自分と舞台オタクである自分、どちらが先かというと、もちろん俳優オタクが先であった。

私が舞台に初めて行ったのは、高校1年生の時で、帝国劇場でのレミゼラブルだった。おばが当時マリウス役だった方のファンで、連れて行ってもらったのだった。

衝撃だった。舞台とはこんなに力強くて楽しくて涙が出るものなのかと思った。しかし将来この劇場に足しげく通うことになるとは思わなかった。舞台は高級なもので特別なものだと思っていたから。



話を社会人になる寸前に戻す。

私はまたおばから舞台に誘われ、加藤和樹主演、タイタニックを見に行った。

2ndテニミュを網羅していた私は、「なるほど1stのキャストがたくさん出てるな」と思った程度だった。

その中の一人が古川雄大であった。古川雄大を生で見たのは初めてだった。

加藤和樹といえばテニミュを履修したオタクにとってはレジェンドみたいな存在だったし、古川雄大も当時から絶大な人気があったことを知っていた。タイタニックの作品自体は、正直あまり覚えていないのだが、通路席だったため、目の前に古川雄大が立っていて歌ってくれるという状況を経験した。綺麗な顔だと思った。

というわけで2.5次元だけでなく、テニミュ出身俳優やアミューズの俳優が出ている東宝系ミュージカルにもよく行くようになっていった。この部分に限れば、キャスト目当てというのは少なくなっていったように思う。作品が面白そうだから、演出家が好きだから、そういった理由で舞台を選べるようになったことは、結果的に私の首を締めることになったのだが、それは置いておく。金は働けば出来る。働けばいい。


そんな時事件が起こる。小池徹平の帝劇主演、1789

あのてっちゃんが帝劇の0番に立つ。信じられない気持ちと喜びで盛大に騒いだ。嘘かと思ったけど本当だった。久しぶりの帝劇で見た私の原点は太陽みたいだった。そして帝国劇場の真ん中に立つということの大きさを知った。

なんて広い舞台。ラストシーン、中央上部の跳ね橋から覗く彼は、小学校の時に見た彼よりずっと輝いて見えた。


ここでも私は古川雄大にすれ違っている。ロベスピエールはものすごくいい役だった。とても美しく、ダンスが苦手な小池徹平を見てから彼のターンを見るとなにか星屑をまとっているかのようにキラキラして見えた。ずるいなと思った。美しいってずるい。


帝劇という場所は神聖な場所だと思った。現実から一線を置ける場所。劇場は往々にしてその雰囲気をまとっていたけど、2.5次元の舞台に通い詰めていた私は、舞台に対する心の垣根を大きく越してしまって、いつでも行ける場所のような気持ちになってしまっていた。帝劇は違うと思った。何より金額が跳ね上がる。そして空気感や客層。これが舞台の敷居を高くしているのだと思った。


そんな帝劇の洗礼を受けて2ヶ月後、ついにテニミュ3rdシーズン関東氷帝公演が始まる。テニプリの推し「鳳長太郎」役は渡辺碧斗(現芸名は渡辺アオト)。彼も踊れるタイプの長身だった。長身の割に童顔、可愛らしい10代の男子。そして彼は、私の理想の鳳長太郎だった。

ある日彼のツイッターを見ると、東京公演でプレゼントボックスに入れたTシャツを着てくれていたことに気づいた。驚いた。今まで小関裕太白洲迅には幾度となくプレゼントを贈ってきたが、そのようなことは一度もなかった。単純に嬉しかったが、そんな安物のTシャツなんかを着てしまうほど、彼の生活は危ないのだろうか、なんてことも思ってしまった。

結果として私は渡辺碧斗のモンペと化し、「貢ぎ」始めた。行ける公演にはとにかく行った。六角公演は特にひどかった、行ける地方すべてでプレゼントを贈った。プレゼントをあげなかったらテニミュの公演後何公演行けただろうか。今思うとなんと生産性のない行為だったかと思うが、結局のところこれはマウントだったのだ。私は碧斗のオタクの中でも強いのだと、周りにマウントをとりたかっただけだ、と今では思う。

今年の全国氷帝27公演のチケットを取っているが、今回はプレゼントを控えることにしている。


しかしこの経験はやっておいて良かったようにも思っている。何より金で戦うことを覚えた。そして私は戦う場所を変えることになった。


ミュージカル黒執事、豪華客船編。これが私の運命を変えた。

ミュージカル黒執事は、古川雄大がセバスチャンになった赤執事編、通称リコリスから見ていたのだが、なぜかそれまで、古川雄大を極端に好きになることはなかった。

生執事だけではない、タイタニックから始まり、1789、ロミジュリ、エリザベート、レディ・ベス、なにかと縁はあったのに、毎回「綺麗な顔してる」「ダンスが好き」とか、しっかり感想を持ちながら見ていたのにもかかわらず、「この人が好き」という感情まで至ることはなかった。

豪華客船編は、原作で特に好きなストーリーだった。また、黒執事の中での推しキャラがエドワードであったこと、そのエドワードが3rd氷帝日吉役の内海啓貴だったこともあり、もともと1度だけのつもりだった公演を、正月早々増やしたのだった。


そこには、ミュージカル黒執事の主演として輝く古川雄大がいた。この人こんなに歌えるのか。こんなに出ずっぱりで、それでもこんなに美しく気高く悪魔として演じることができるのか。驚いた。なぜ今までこの人の魅力に気付けなかったのだろう。あんなに見てきたのに。

家に帰って驚いたのは、彼の出ていた作品で、なんだかんだグッズを集めていたことだった。黒執事のブロマイドはリコリスの時から持っていたし、ロミオの写真は扮装も舞台も、どっちも持っていた。1789のパンフレットも買ってあった。黒執事のパンフレットはビジュアルブックまで揃っていた。もうずっと好きだったのかもしれないと思ってしまう量だった。


年始にこのことを後輩に話したら、「ずっと一緒にいた幼馴染のことを急に好きになっちゃったみたいな感じですかね」と言われて、妙にしっくりきた。社会人になって、舞台オタクとして通い詰めて、幾度となく見てきた彼をついに好きになった。必然だったのだと思う。


古川雄大が帝国劇場の主演俳優になるということは、その前から知っていたのだが、まさかその時はこんなにハマるとは思っておらず、チケット取りに苦戦してしまった。慌ててファンクラブに入り、ギリギリ初日のチケットを手に入れた。すごいことだと思った。推しが帝劇の主演俳優になる瞬間を見ることができる。


初日、帝国劇場に入ると変な緊張感に襲われた。その少し前まで1789で通っていた時と雰囲気が違うようにも思えた。大丈夫だろうか、あの大きな役を彼はやり遂げられるのだろうか。舞台を見るのにあんなに緊張するのは初めてだった。

「僕こそ音楽」で大きな拍手を浴びる彼を見てドキドキした。ストーリー終盤になるにつれて、死の影に苛まれるモーツァルトの姿がそこにあった。これで古川雄大モーツァルトが誕生したのだ、立ち会ってしまったのだと思った。


初日から1週間後の土曜、彼の歌の不調が囁かれていた。不安なまま見に行った平日公演は、まさかの2列目だった。こんな近くで彼の苦しむ姿を見なければならないのかと辛くなった。本当に辛かった。高音や長音で苦しむ彼の姿を見るのが苦しかった。カーテンコールでも一切笑顔を見せない彼を見て泣きそうになった。そしてこれが帝劇主演俳優の看板の重さだということを知った。


その週の土曜日、5日ぶりに見たヴォルフガングは見違えるようだった。

伸びのある切ない高音。幼さと破天荒さを兼ね備えた可愛らしげな1幕も安定していた。初日から定評があった2幕はさらに迫力を増していた。人はこんな短期間で変われるものなのだろうかと驚いた。カーテンコールでのアマデとのやりとりで笑いながらはけていく彼を見て嬉しくて涙が出た。


モーツァルトの大阪公演は仕事の忙しい時期とテニミュに被ってしまったため行くことができなかったが、名古屋公演はテニミュの合間を縫って行けることになった。


大千秋楽。東京公演から恐ろしく成長を遂げていた。震えが出るほど切ない歌声、悲痛な叫び、子供のような彼が大人のふりをしようと狂っていく様、才能を絞り出しその舞台に立つ姿はヴォルフガングそのものだった。演技プランも見るたびに変わっていく。彼の、今できる全てを見届けることができた。


私は冒頭、「俳優ファンとして生きてきた集大成として」と述べたが、それは、帝劇主演俳優を推すということが俳優オタクとしての最終地点であるということではない。私はこれからも沢山の俳優を好きになる。さまざまな舞台で多くの俳優を見て、推して、担降りして、また戻って、を繰り返していくだろう。

そして帝劇主演俳優だって、もっともっと上に行ける。私が見たいのはその姿だ。トップに立ちながらもがき苦しみ自分の姿を見つめ続けて今できる1番のパフォーマンスをする、彼らの成長過程が見たいのだ。

俳優オタクのほとんどが、同じような「母性」を持って活動しているのではないか。


今私は「俳優ファンとして行き着くところまで来た」と思っている。これが私の生きる道なのだと、決意することができた。その集大成が、今なのだ。




推しを追いかけるにあたり、ドラマ、映画、舞台、イベントでとにかく忙しい日々だ。土日の予定は年内はもう埋まっているし、先日発表されたロミジュリやレミゼの日程で、5月ごろまでは舞台用にスケジュールを仮押さえしている。でもそれはありがたいこと、推しが忙しいのは幸せなことだ。


次に私が望むのは、古川雄大によるトート閣下。

これが見られるのはいつになるのか。その時、小関裕太はルドルフになれるのだろうか。本当にそうなったら、私は仕事を辞めて帝劇に骨を埋めるしかない

そんなことを考えながらすごす、これが私の今の幸せだ。